YS-11

航空公園への入口に悠々とたたずむ白と青の翼「YS-11」
この機体について取り上げましょう。


誕生

第二次世界大戦の敗戦で、一切の航空活動を禁止されていた日本でしたが、朝鮮戦争時の米軍機の修理・整備等から、航空工業力を復活させました。
1956年、通産省(現経済産業省)より中型の国産輸送機の開発が発案され、政府の研究補助金3500万円に、国内の機体メーカー6社(三菱工業、川崎航空機、富士重工業、新明和工業、日本飛行機、昭和飛行機)が合計で4500万円を負担し、1957年5月1日に「財団法人輸送機設計協会」が設立され、研究が始まりました。
その後、1959年6月1日付で発足した「日本航空機製造株式会社」に引き継がれ、1960年に試作開始、1963年に量産が決定しました。
機体の引き渡しを最初に受けたのは、運輸省航空局で1965年3月30日。民間航空会社では東亜航空で1965年4月19日でした。


生産終了

182機が生産され、日本航空を除く国内航空会社のすべてから発注を受けたほか、海上保安庁や自衛隊等にも採用され、海外にも輸出され、世界の空で愛されましたが、赤字がかさみ1973年に生産は終了となりました。


YS-11という名前

採用されたエンジン案と、主翼面積案の番号(いずれも第1案)に、「輸送機設計協会」の頭文字(YS)とを組み合わせて、YS-11となりました。読み方は、「ワイエスいちいち」とするのが正しいようです。


航空公園駅前へ

2101号機は、1969年に製造されました。全日本空輸とエアーニッポンで使用され、1997年4月13日の大島-東京便の運行を最後に引退するまで、58000回以上、飛行時間52977時間7分、日本の空を飛び続けました。
1996年10月に航空発祥記念館で行われた「日本の名機~YS-11展」をきっかけに、全日空に埼玉県がリタイア機の寄贈を打診。快諾され、寄贈と展示が実現しました。

1997年5月23日午前10時15分に羽田空港を発ち、10時50分頃、自衛隊入間基地に到着。26日から同基地内で解体され、31日深夜、航空記念公園へ運ばれました。
年に数回、中を見学できる機会があります。詳細は航空発祥記念館(℡04-2996-2225)までお問合せください。(K)


参考文献

  • 『旅客機年鑑 2006-2007』 イカロス出版 《538.6/リ/06》
  • 『日本の航空史 下』 朝日新聞社 《R538.6/ニ/2》
  • 『YS-11が飛んだ空』青木勝 朝日新聞社 《538.63/ア》
  • 『YS-11名機伝説』 青木勝 講談社 《H538.63/ア》
  • 「埼玉新聞」1997年5月22日号・9月24日号
  • 「家庭新聞」1997年5月17日号・5月25日号
  • 「日刊新民報」1997年5月26日号・6月6日号
  • 「広報ところざわ」No802(1996年9月20日発行)

「所沢の足跡」地図

YS-11
「所沢の足跡」地図上の〇 YS-11