戦国の名残と竜の伝説 滝の城址

所沢市の東の端、清瀬市との境に戦国時代の名残を匂わせる県指定史跡「滝の城址」があります。


歴史

築城者は、太田下野守や大石定重、定久親子など、諸説あり定かではありません。武州八王子城主北条氏照の支城と言われており、現在残る遺構からも、 北条氏の手が加わっているのは明らかなようです。

南東を流れる柳瀬川を天然の要害とし、空掘りを巡らした平山城で、崖の上の最高所に本丸を置き、その周囲に二の丸、馬出し、北東方面に三の丸、出曲輪(でぐるわ)が配置されていました。 出曲輪のあった崖に滝が流れ落ちていたとされ、この滝が"滝の城"と呼ばれる由縁であったといわれています。

各曲輪の連絡は土橋が1本あるのみで、その土橋それぞれに対し、横矢がかけられていました。また、本丸の2箇所に設けられた櫓台からも目の前の土橋などを狙い撃つことができました。 寄せ手を狭いところへと追い込み、側面から攻撃する造りが随所に見られ、北条氏らしい造りでありました。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めに際し、南東方面からの攻撃に厳しく備えていましたが、思いがけなくも、北方から攻め寄せた豊臣方の浅野長政の前に、あっけなく落城し、 以降は廃城となりました。

現在は、堀、土塁、本丸などの跡が遺構として残り、本丸跡には城山神社が建っています。


伝説

血の出る松


城跡の北西隅に、樹齢数百年を数える黒松があり、肌を傷つけると血の色をした樹液が出ました。落城したときに討死した城兵の血が地に染み込んだためと言われていました。

現在は枯れてしまっていますが、跡に石碑が残されています。


滝の城の竜


滝の城には、城に仇をする竜がひそんでいました。城兵たちは何とかして退治しようと相談しました。そして、城の下で踊を踊り、賑やかにはやしたてたところ、竜は踊が見たくなり、 まんまと姿を現しました。待ち構えていた弓の名手が矢を放つと見事命中し、首は射切れて飛んでいきました。

伝説は地名に残っており、踊を踊った場所は、清瀬市下宿の"舞台"竜の首が落ちた場所は、南永井の"井頭(射頭)"、首を射切った矢が落ちた場所は、城の"矢崎(矢先)"という場所だと言われています。 竜ではなく、大蛇とする話なども伝わっています。(K)


アクセス

滝の城址公園
 所沢駅東口および東所沢駅よりバス
 志木駅南口行「城」下車徒歩3分

参考文献

  • 『大日本地誌大系 14 新編武蔵風土記稿8』 雄山閣 《K290.1シ8》
  • 『埼玉の古城址』中田正光/有峰書店新社 《291.34ナ》
  • 『歴史ロマン・埼玉の城址30選』西野博道/埼玉新聞社 《291.34ニ》
  • 『所沢市史』「文化財・植物」「民俗」 所沢市史編さん委員会/所沢市 《213.4ト》
  • 『所沢市史研究 第19号』 所沢市教育委員会文化財保護課/所沢市教育委員会 《213.4ト19》

「所沢の足跡」地図

滝の城址公園
「所沢の足跡」地図上の〇 滝の城址公園