三人の女神像と新所沢駅

駅前には三人の女神がいる噴水があって
ライオンの頭に守られ
水はその口から出ている
だから正式には「噴水」ではない
忘れられ、ほとんど眺められることのない
薄汚れた白い女神を
いつか洗ってやりたい
(須永紀子「特別な一日」より)


昭和32年(1957年)、日本住宅公団(当時)は北所沢駅周辺に、2,500戸規模のニュータウン建設計画を発表しました。これが「新所沢団地」の始まりです。 この計画では、宅地の分譲、鉄筋コンクリートによる集合住宅建設のほか、上下水道の整備、公園や学校など公共施設の建設が盛り込まれ、生活環境の充実が目指されていました。

この地域は、大字上新井の一部で「八丁山」と呼ばれていました。区画整理事業前の土地利用は、8割近くが山林で、農耕地は16%程度。武蔵野の雑木林の面影が色濃く残っていました。この雑木林は所沢市街地から富岡方面への道路が1本通っていましたが、昼間でも薄暗く、怖いところだったそうです。雑木林には、モズやメジロ、野ウサギなどが生息し、きのこ狩りもできたといいます。 区画整理後、整然と家が立ち並ぶ新しい町は、公募により「緑町」と命名されました。 北所沢駅も団地の建設に合わせて、昭和34年に「新所沢駅」と改められました。駅前通りは整備され、中央公園など、公共空間の確保された一大住宅地域となりました。


三人の女神像


さて、冒頭の女神像ですが、昭和35年6月16日に埼玉県、住宅公団、所沢市の三者共同で、緑町区域区画整理の完成を祝う式典と、駅前広場に建設された女神像の贈呈式が行われました。 新所沢駅前広場に建てられた女神の噴水像は、「歓び」と名づけられ、「生活の歓び」を象徴しています。 日本都市美推進連盟の企画設計によるもので、作者は日展審査員の山本雅彦、佐藤義重両氏です。 建設から46年経った女神像は老いることなく、今も新所沢駅前広場で微笑んでいます。(F)


参考文献

  • 『所沢市史 下』所沢市《213.4ト2》
  • 『ところざわ歴史物語』所沢市教育委員会《213.4ト》
  • 『新所沢団地(緑町)の始まり』池田義明《K318.2イ》
  • 『中空前夜』須永紀子/著 書肆山田《911.56ス》

「所沢の足跡」地図

⑨新所沢駅前広場の
女神像
「所沢の足跡」地図上の〇 女神像