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来迎寺(らいこうじ)の阿弥陀さま

今回は、不思議な伝承の残る来迎寺(らいこうじ)の阿弥陀如来三尊について、紹介しましょう。


車返しの弥陀

その昔、奥州の藤原秀衡(ひでひら)は運慶(うんけい)の作った弥陀三尊を、守本尊として拝んでいました。

この弥陀三尊、ご利益があるということで源頼朝(みなもとのよりとも)が欲しがり、遂に頼朝に贈ることとなりました。

立派な厨子(ずし)に弥陀三尊を納め車に載せ、数十人の従者に護らせて、鎌倉へ向け出発しました。ところが、 武蔵国多摩郡府中(現在の東京都府中市)の近くまで来たところで急に車が重くなり、どうやっても動かなくなってしまい、 引き返すこととなりました。そこで、車の向きを変えると、車は何事も無かったかのように軽々と動き出しました。

その頃、山口堀之内村に小さなお堂があり、旅僧がおりました。ある晩、この旅僧の夢の中に弥陀三尊が現れ「自分は今、府中車返村 (くるまがえしむら)におり、お前のお堂に住もうと思っているから迎えに来るように。」と言って飛び去りました。 夢から醒めてもまだ庵内に金色の光が輝いていました。

翌朝、早速府中に行き、秀衡の従者たちにこの夢の話をし、弥陀三尊を譲り受けると堀之内村のお堂に運び、日夜お経をあげ敬いました。 以来、このお堂は来迎寺と呼ばれました。

この弥陀三尊は「車返しの弥陀」と呼ばれ、非常に霊験あらたかで、参拝に来る人があとをたたなかったそうです。


行脚の弥陀

堀之内村に阿弥陀如来を厚く信仰している老夫婦がいました。ある晩、2人が一心に念じていると、戸を叩くものがあります。 戸を開けてみるとお坊さんが立っていて一晩の宿を求めました。

おじいさんが、「どこかでお目にかかったことがあるようだが、誰だったろうか。」と思いながらも中へ案内しました。

おばあさんは、お坊さんを見て驚きました。このお坊さんは、日ごろ自分達が信仰している来迎寺の阿弥陀様の衣をつけていたのです。 怪しみながら、なおよく注意して見れば見るほど、その顔かたちまでが阿弥陀様そのままで、お供の僧も、いつも両脇にいる菩薩によく似ています。

そこで老夫婦は、もしかすると自分達が信仰の厚いのを知って、阿弥陀様がおいでになったのではあるまいか。と心を込めておもてなしをして、翌朝早くお返し申し上げました。

お帰りになる時に、「なにか目印を残しておきたい。」とお坊さんの衣の裾にそっと紅で印を付けておきました。

そして翌朝来迎寺へ行って、阿弥陀様を拝んだところ、はたして衣の裾に紅が付いていました。驚いた老夫婦は、このことを来迎寺の和尚さんに話しました。

和尚さんは「この上、阿弥陀様に行脚をさせるのはもったいない。」と言って、お堂の前に残っていた弥陀三尊の足跡に「これからは、行脚なさらないように。」と足止めのまじないをしました。 それから後、この阿弥陀様は、再び行脚することがなくなったとのことです。


来迎寺

創立は一説によると文治元(1185)年と言い伝えられています。江戸時代に火災にあい、現本堂は昭和に入り新築したものです。(K)


アクセス

来迎寺
 所沢市大字山口1392

参考文献

  • 『所沢市史 民俗』所沢市《213.4ト》
  • 『所沢市史 社寺』所沢市《213.4ト》
  • 『ところざわ歴史物語』所沢市教育委員会《213.4ト》
  • 『ところざわふるさと散歩』 所沢市民俗研究会/所沢市立中央公民館 《388.134ト》
  • 『埼玉宗教名鑑』埼玉新聞社《K165サ》

「所沢の足跡」地図

来迎寺
「所沢の足跡」地図上の〇 来迎寺