吉田弥右衛門(よしだやえもん)と南永井発祥の川越いも

栗 (九里)より(四里)うまい十三里 として名高い川越いも。意外なことに初めて試作に成功したのは、この所沢でした。

さつまいもは、もともと中南米が原産地で、新大陸に進出したスペイン、ポルトガルによってヨーロッパに伝えられ、その後アジアに広がってゆきました。 日本への伝来は慶長2年(1597年)に中国から宮古島へ入ったのが最初とのことです。その後、琉球へ広がり、元禄期には薩摩、長崎で作られるようになりました。

関東では享保20年(1735年)に青木昆陽が小石川薬草園などで試作し、その苗を千葉の幕張などに配って栽培させたのが始まりといわれています。 所沢市域では寛延4年(1751年)に入間郡南永井村の名主であった吉田弥右衛門が、息子の弥左衛門を上総国志井津村(かずさのくにしいづむら・千葉県市原市)に派遣し、長十郎という人物から種苗を買い求め栽培を開始しました。 市指定有形文化財「弥右衛門覚書」には当時のさつまいも栽培の記録が残されています。これによると、弥右衛門がさつまいもの栽培を始め、近隣に広めていったことが記されています。さつまいもの栽培を始めるまでには、吉田家親子2代の苦労があったようです。 この後、さつまいも栽培は周辺の村々にも伝わっていきました。収穫したさつまいもは、舟運によって江戸へ運ばれ、集散地である川越の名をとって「川越いも」と呼ばれるようになりました。

平成18年11月23日、中富の三富・富岡総鎮守「神明社」で、吉田弥右衛門を主祭神にした「遷座祭」が開かれました。遷座祭では青木昆陽も一緒に「甘薯乃神」として祀られました。境内に新たに建立されたさつまいもを抱いた狛犬と、撫でいも(鋳物でできた数10センチがのさつまいも)がお披露目され、地元小学生による祭祀舞(さいしまい)が奉納されました。 さつまいもの栽培に力を注いだ吉田弥右衛門の魂は、子孫たちに脈々と受け継がれています。(F)


参考文献

  • 『所沢市史 上』所沢市《213.4ト1》
  • 『所沢市史 文化財・植物』所沢市《213.4ト》
  • 『ところざわ歴史物語』所沢市教育委員会《213.4ト》
  • 『江戸時代人づくり風土記11埼玉県』農山漁村文化協会《K205ヒ》
  • 「埼玉新聞 H18.11.22」
  • 「家庭新聞 H18.11.25」