発祥の記念碑
所沢が発祥というと、まず航空を思い浮かべるのではないでしょうか。 でも、所沢発祥はそれだけではありません。探してみると、市内には、このような発祥を記念した碑もありました。 今回は、発祥碑を3つ紹介します。
保健所発祥の地碑
所沢駅東口のロータリーに「保健所発祥の地碑」はあります。
昭和12(1937)年、公衆衛生の技術者養成の機関として、公衆衛生院、都市保健館、農村保健館が米国のロックフェラー財団の寄付により開設されました。 このうちの農村保健館が所沢にあり、全国の保健所の先駆けとなりました。
農村保健館は昭和16(1941)年に所沢保健所と改称し、昭和39(1964)年にけやき台に新築された庁舎に移転し、平成22年に狭山保健所に統合されるまで業務を行いました。
当時の建物は現在、残っていませんが、くすのき台の長者久保(ちょうじゃくぼ)公園に「農村保健館跡」の碑があります。
こちらの碑も「保健所発祥の地碑」と共に、農村保健館設立から40年にあたる昭和52(1977)年に制作されていましたが、所沢駅東口の区画整理により 保健所の倉庫で保管されていました。ようやく設置されたのは、区画整理がほぼ完成した昭和60(1985)年でした。
実際の跡地はこの碑から南東方向に約173m行った所で、武蔵野銀行所沢駅前支店前の歩道に金属の標識で「農村保険館跡」が立っています。
商業教育発祥之地記念碑
埼玉県立所沢高等学校敷地内のロータリーに設置されています。
明治31(1898)年7月1日、所沢高等学校は私塾「共立英和学舎」として出発しました。独立した校舎はなく、創設者の一人であった白井要作邸の一室からのスタートでした。
翌年4月4日に新校舎が完成、その後も所在地や名称は変わっていくこととなりました。高校としては県下で県立不動岡・浦和・熊谷に次いで4番目に古い高校になります。
商業学校としての出発は大正4(1915)年からですが、その時点からでも熊谷商業(大正9年4月創立)や深谷商業(大正10年4月創立)などより古く県内最古となります。
昭和44(1969)年4月、埼玉県立所沢商業高等学校が開設されたため、商業科の生徒募集は終了となりました。昭和46(1971)年3月の商業科最後の卒業生の希望により、 同窓会の協力で同年7月1日に記念碑が建立されました。
史跡南永井さつまいも始作地之碑
南永井の吉田家の入口に設置されています。
所沢市域で初めて、さつまいもの栽培を始めたのは南永井の吉田(よしだ)弥右衛門(やえもん)、弥左衛門(やざえもん)親子でした。
本人が「弥右衛門覚書」に"作り初め申し候"と記したのは宝暦4(1754)年。苦労が実り、やがてさつまいもの栽培は周辺の村々へも伝わり、 新河岸(しんがし)川(がわ)の舟運によって江戸へ運ばれ、その集積地から「川越芋」と呼ばれるようになりました。
図書館ホームページのコラム"所沢の足跡"に掲載されている「吉田弥右衛門と南永井発祥の川越いも」の記事もご覧ください。(K)
アクセス
- 「保健所発祥の地碑」 所沢駅東口ロータリー
- 「農村保険館跡」の標識 くすのき台1-10-7
- 「農村保健館跡」の碑 くすのき台1-3-1
- 「商業教育発祥之地記念碑」 久米1234
- 「さつまいも始作地之碑」 南永井439-7
参考文献
- 『ところざわ歴史物語』 所沢市教育委員会《213.4ト》
- 『農村保健館40周年を記念して』 農村保健館記念碑建立発起委員会《K498.1ノ》
- 『所澤高校百周年記念誌』 所沢高校百周年記念誌編集委員会《376.4ト》
- 『所沢高校百年の歩み』 所沢高校百周年記念誌編集委員会《K376.4ト》
- 「埼玉新聞」 昭和46年12月16日
- 「埼玉新聞」 昭和60年4月25日




