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九一式戦闘機

2008年3月28日に財団法人日本航空協会の重要航空遺産第1号に認定された、九一式戦闘機の紹介をします。
この機体は航空発祥記念館(電話04-2996-2225)に展示されています。


試作機

昭和2年3月、陸軍は、中島、川崎、三菱の3社に新型戦闘機の試作を命じました。
川崎、三菱の2社がいずれも水冷式発動機搭載のドイツ流設計だったのに対し、中島はフランスからマリー、ロバン両技師を招き、その指導のもとに大和田繁次郎、小山悌両技師が協力し、空冷式発動機を搭載したフランス流のスマートな機体が特徴の「NC型」を完成させました。<
このNC型に改良が加えられて、後に九一式戦闘機として制式採用となるのですが、昭和3年6月13日に所沢陸軍飛行場で行なわれた最初の審査では、三菱機が急降下テスト中に空中分解したため、全機体とも地上での破壊試験となりました。
結果3社とも強度不足と判断され、不採用となりましたが、その中で中島に、引続き改良するよう指示が出されました。
こうして、試作機から、増加試作5機を経て、昭和6年秋に制式採用されることとなりました。


性能

日本初の準国産戦闘機で、水平錐揉み(フラット・スピン)に陥り易いという欠点はありましたが、最大速度300km/h、高度3,000mまでの上昇時間3分20秒は、当時の世界各国の現用戦闘機と比較しても見劣りしない性能でした。


生産

昭和3年から9年の間に、一型が中島で320機、石川島飛行機で約100機が生産されました。
発動機を付け替え、金属製のプロペラを取り付けた改良型である二型も製造されましたが、昭和9年に初号機が完成してから間もなく、九五式戦闘機が採用されたため、22機で生産中止となりました。


愛国号

九一式戦闘機は、民間からの献金による陸軍兵器「愛国号」の対象となった最初の戦闘機で、昭和7年2月から昭和8年12月まで続き、当時としては最も多い、42機が納められました。


記録

高度9,000mへの上昇や、立川~八丈島往復長距離海洋飛行、日本一周飛行など好記録を樹立した機体でしたが、部隊に配備され始めた直後に上海事変は収拾し、5年後の昭和12年に勃発した日中戦争時には、九五式戦闘機が配備されていたため、実戦に参加する機会はありませんでした。(K)


参考文献

  • 『日本航空機総集 第5巻 中島篇』 野沢正 出版協同社 《R538 ニ 5》
  • 『日本軍用機事典 陸軍篇』 野原茂 イカロス出版 《K538 ノ》
  • 『日本陸軍軍用機集』 野原茂 グリーンアロー出版社 《538.7 ノ》
  • 『精密図面を読む 8』 松葉稔 酣燈社 《H538.6 マ 8》
  • 『日本航空機大図鑑 1910-1945 上』小川利彦 国書刊行会 《R538.6 オ 1》
  • 『所沢陸軍飛行場史』 小沢敬司 《K390 オ》
  • 「埼玉新聞」 2008年4月15日号
  • 「産経新聞」 2008年4月15日号

「所沢の足跡」地図

所沢飛行場
「所沢の足跡」地図上の〇 航空発祥記念館